「終活にどのような違いがあるか」「親に終活を上手に勧める方法」など、宗教に関係なく多くの方にとって役に立つお話をたくさん伺えました。 ]。, なお、プロテスタントや聖公会の中には“教会内における女性の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。教義上、聖職者になれるのは男性信者に限られている。フェミニストはこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「女性差別」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。また、かつては女性助祭や旧約時代の女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。, ・1096年、民衆十字軍は東上の途中でユダヤ人を各地で虐殺した。この詳細については十字軍#民衆十字軍を参照。, ・1096年 - 1099年、 第1回十字軍はイスラム教徒やユダヤ教徒の虐殺と略奪を行う。この詳細については十字軍#第1回十字軍を参照。, ・1198年 北方十字軍。1193年に教皇はバルト海沿岸の異教徒に対する十字軍を布告し、1198年に十字軍の使節団がリヴォニア(現在のラトビアのリガ湾に囲まれたところ)に上陸した。 この詳細については 北方十字軍を参照。, ・1204年、第四回十字軍においては、当初の目的であった聖地には向かわず、同じキリスト教国であった東ローマ帝国を攻略する。この詳細については 第四回十字軍を参照。, ・1493年、コロンブスの率いるスペイン軍は、数ヶ月で5万人以上のインディアンを殺害した。以後10年間にわたり毎回数千人の住民を殺害する。この詳細についてはクリストファー・コロンブス#インディアンへの大虐殺を参照。, ・1533年、スペイン人のコンキスタドールにインカ帝国は滅ぼされる。この詳細についてはインカ帝国を参照。, ・1521年エルナン・コルテスはメキシコ高原にあったアステカ帝国を征服した。この詳細についてはアステカ#滅亡を参照。アステカ帝国の征服前の人口はおよそ1100万人であったと推測されるが、1600年の人口調査では、先住民の人口は100万程度になっていた。この詳細についてはアステカ#植民地時代の人口減少を参照。, ・1204年第四回十字軍コンスタンティノープル包囲戦では、ギリシア人住民 2000人以上が死亡した。この詳細についてはコンスタンティノープル包囲戦 (1204年)を参照。。, ・1209年 - 1215年、アルビジョア十字軍は約1万人の住民をアルビ派であるか否かにかかわらず無差別に殺戮した。この詳細については、アルビジョア十字軍#初期を参照。, ・1633年、地動説を唱えたガリレオは有罪となる。地球が動くという説を放棄する旨が書かれた異端誓絶文を、ガリレオは読み上げた。[32]この詳細については、ガリレオ・ガリレイ#第2回の裁判を参照。, ・2013年5月22日、独立機関の聖座財務情報監視局は、2012年の金融取引において6件のマネーロンダリングの疑いがあると発表した。2013年6月28日には、現金4千万ユーロ(約52億円)を無申告でスイスからイタリアに運ぼうとしたとして、スカラーノ司祭がイタリア警察に逮捕された。2013年7月1日には、幹部2人が辞任に追い込まれた事件があった。, 旧約聖書 - 新約聖書(聖書の登場人物の一覧 - 聖書に登場する地名一覧)- 聖書正典 - 外典, 東方教会(正教会 - 東方諸教会)、西方教会(カトリック - 聖公会 - プロテスタント - アナバプテスト)、その他(キリスト教系新宗教), 聖職(司祭 - 神父 - 修道士)、正教会(神品 - 教衆)、カトリック(教皇 - 枢機卿 - 司教)、プロテスタントの教職者(牧師 - 伝道者 - 宣教師), 主日 - 復活祭/復活大祭 - ペンテコステ - クリスマス - ミサ/聖体礼儀 - イコン - 聖歌/賛美歌 - 音楽 - 礼拝・典礼・奉神礼 - 年中行事, 洗礼 - 聖体 - 聖餐 - 堅信/傅膏 - 告解/痛悔 - 叙階/神品 - 病者の塗油/聖傅 - 婚姻/婚配, 聖伝 - 通史 - 年表 - 原始キリスト教 - 初期キリスト教 - 初代教会 - 古代末期のキリスト教 - 中世ヨーロッパにおける教会と国家 - 教皇領 - 東西教会の分裂 - 叙任権闘争 - 教会改革 - 宗教改革 - ヨーロッパにおける政教分離の歴史 - アメリカ合衆国における政教分離の歴史 - 政教分離, マタイによる福音書の16:18-19の天国の鍵の記述の中で、ペテロが天国の管理人をするところの教会を、イエスは「自分の教会」と言ったという記述がある。岩波新約聖書2004年P131, 中世には「来世の裁き」の観念が発達し、最後の審判を描く図像には天国の場所に神が裁判官として座し、マリアや聖人たちが仲介者として周りを囲んでいた。(岩波キリスト教辞典P779), 神の母という信仰は、3世紀初めからアレクサンドリアの教父によって行われている。428年ネストリオスはキリストの母と呼ぶべきだとして、激しい論争がおこった。(岩波キリスト教辞典P767), マタイによる福音書の16:18-19の箇所にのみ出てくる、ペテロはイエスより天国の管理人に任命されたとされる。。岩波新約聖書2004年P131, 小高毅 よくわかるカトリック-その信仰と魅力 教文館 2002.15.May p.10, カトリック教会では、聖母マリアや諸聖人を神として敬っているわけではないため、「マリア崇拝」等と称するのは誤りである。, ガリレオは、ニコラウス・コペルニクス、ヨハネス・ケプラー、アイザック・ニュートンと並び、科学革命の中心人物とされている。, DOGMATIC CONSTITUTION ON THE CHURCH LUMEN GENTIUM, ANNUARIUM STATISTICUM ECCLESIAE: Published for 2000, http://opusdei.org/ja-jp/document/kekkonno-shinpi/, http://opusdei.org/ja-jp/article/opusudeiheno-meshidashi/, COMMON CHRISTOLOGICAL DECLARATION BETWEEN THE CATHOLIC CHURCH AND THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST, http://opusdei.org/ja-jp/article/kyoukaiheno-ai/, http://opusdei.org/ja-jp/article/iesu-kirisuto-kyokai/, https://mpra.ub.uni-muenchen.de/75243/1/MPRA_paper_75243.pdf, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=カトリック教会&oldid=80018355, 罪がないナザレのイエスは死刑になったが、死んでから三日たってからまた生き返った、と信じる。聖書に書いてある通りである。, ナザレのイエスはみんなの見ている前で、天に昇って行った、と信じる。聖書に書いてある通りである。, ナザレのイエスは再び天から降りてきて、最後の審判の時に、今現在生きている者と、すでに死んだ者とをさばくと信じる。, すでに死んだ人でも生き返ると信じる。イエスを救い主と信じる人は、神の国が到来したら、新しい命がもらえると信じる。, Tausch, Arno, Global Catholicism in the Age of Mass Migration and the Rise of Populism: Comparative Analyses, Based on Recent World Values Survey and European Social Survey Data (November 24, 2016). Robinson, D. W. B. D in Physics、取得)に宗教嫌いの無神論者からクリスチャンに。日本に帰国後、しばらくIT系の企業に勤めるも、牧師になることを決意してシンガポールに留学(牧会学修士号、Master of Divinity、取得)。現在、Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会)の牧師。, うーん、これが「礼拝」と言われれば「礼拝」なんだろうけど、やっぱり良く分かんないな・・・, 神がシナイ(またはホレブ)という山で神の民(イスラエル民族)と契約を結んだ日のことを, キリスト教(聖書)が語る「教会」とはどういうものか、またその働き・役割・目的は何か, Tokyo Multicultural Church (みんなのためのキリスト教会), 神の民とされた人々が集まってすること (讃美歌を歌ったり、教えたりすることなど)は全て、. 」, ・・・は別として、先般の反キリスト教同盟というものは、まさに昨年四月から北京・・・ 小川未明「反キリスト教運動 中道教授の研究テーマ (インタビュアー:相続弁護士ナビ編集部 酒井) パウロは、この救済論的な意味をユダヤ教から受け継ぎました。ヘブライ語の「ツェダカー」という語は、しばしば「義」と訳されていますが、このヘブライ語は、「正義・公正さ」といった、「ディカイオスネー」に共通する、倫理的な意味を持つと同時に、「救い、恵みの業」といった、救 “CHURCH.” Edited by D. R. W. Wood, I. H. Marshall, A. R. Millard, J. I. Packer, and D. J. Wiseman. 酒井:まずは中道教授の研究テーマについてお, gooIDでログインするとブックマーク機能がご利用いただけます。保存しておきたい言葉を200件まで登録できます。, 内田魯庵「三十年前の島田沼南 Available at. 」, 小川未明「反キリスト教運動 再洗礼派 ルター派 カルヴァン主義 カトリック教会(カトリックきょうかい、ラテン語: Ecclesia Catholica )は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教の教派。 その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる )「建物」をイメージすると思います。, ところが、日本語で「教会」と訳されている言葉(ギリシャ語のekklēsia)の元々の意味は「集会、会合(a meeting or assembly)」というもので、「建物」を指す言葉ではありません。1, 実際、聖書内においても「教会(ekklēsia)」という言葉は、建物ではなく、地域に存在しているクリスチャンの「宗教的な集会(congregation)」を指すことがほとんどです。, わたしは彼らの間に住み、また歩む。 わたしは彼らの神となり、 彼らはわたしの民となる。 【コリント人への手紙第二6章16節】, 出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉363-363頁2, ここで「わたし」は「神」、「彼ら」は「イエスを信じ従うクリスチャンたち」を指します。, 事実、聖書は旧約聖書と新約聖書に大きく分かれてますが、この「旧約」と「新約」という言葉の基礎となっている「旧い契約」と「新しい契約」双方の中核を成すものが「神が人々の神となり、人々が神の民となる」というものです。3, そして、神がシナイ(またはホレブ)という山で神の民(イスラエル民族)と契約を結んだ日のことを「あの集まりの日」と表現する個所があります(申命記9章10節;18章16節)が、ここの「集まり」という言葉にekklēsiaという言葉が用いられています。, また神は、神が神の民と結んだ契約に基づいて、人々に様々な掟(律法)を与えます。その中に神の民を指して「主(しゅ)の集会」という表現が出てきます(申命記23章1、2、3節など)が、そこでの「集会」という言葉もまたekklēsiaとなっています。, 教会が「(キリスト教の)神の民とされた人々の集まり」ということは具体的には以下を意味します。4, また、御子(みこ)はそのからだである教会のかしらです。【コロサイ人への手紙1章18節】, 出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉402頁, ここで「御子」というのは神の子である「イエス・キリスト」を指しています。ですから、「キリストはキリストのからだである教会のかしら」だと言っていることになります(比較:エペソ人への手紙1章22-23節;コリント人への手紙第一12章12-27節;ローマ人への手紙12章3-8節)。, とはいえ、いきなり「教会はキリストのからだです」と言われても全く意味不明だと思いますので、その意味するところを記すと以下のようになります。8, 教会は父なる神の民とされた人々の集まり、そして子なる神キリストのからだでもあると同時に「聖霊なる神の宮(みや)」でもあります。9, あなたがたは、自分が神の宮(みや)であり、神の御霊(みたま)が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。【コリント人への手紙第一3章16節】, 出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉330頁, これはパウロという人がコリントという場所に住むクリスチャンたち(神の民とされた人々の集まりとしての教会)に宛てた手紙の一節です。, ここでパウロはコリントの「教会(神の民とされた人々の集まり)」に向けて、教会全体が一つの「神の宮」であり、聖霊(神の霊)がその集まりの中に住んでいると語っています(比較:エペソ人への手紙2章21-22節)。10, 教会のうちに聖霊が住んでいること、即ち、教会が「聖霊の宮」であることは以下のようなことをもたらします。11, 前節において、教会は父なる神の民とされた人々の集まり、子なる神キリストのからだ、そして聖霊なる神の宮(みや)であることをみました。, 今節ではそんな教会の果たすべき役割・存在意義・目的について、大きく以下の三つを紹介します。, キリスト教の教会のウェブサイトを見ると必ずと言ってよいほど目にする言葉がこの「礼拝」という言葉でしょう。, しかしながら、キリスト教(宗教)を知らない人にとっては、「礼拝」ほど意味が良く分からない言葉もないと思います。, しかし、それでもとりあえず教会に足を運んで「礼拝」なるものに参加してみると、そこに集う人たちがやっているのは大抵、以下のようなことです(順不同です)。, 残念ながら、今回は礼拝について詳しく取り上げるスペースがありません。12 が、礼拝に関する一つの説明(表現方法)を記すとすれば下記になります。13, ここでのポイントは「神がしてくださったことに対する」という部分。つまり、礼拝というのは、, 神の民とされた人々の集まりである教会は、神を礼拝するだけでなく、キリストのからだ全体として成長していく必要があります。, キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。【エペソ人への手紙4章16節】, 出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉389頁, ここに出てくる「からだ」とは、キリストをかしらとした「教会」を指しています(参考:エペソ人への手紙4章15節)。, また、からだ(教会)全体を支える「あらゆる節々」というのは、教会内で様々な働きを担う人々(伝道者、牧師、教師など)のことを指しています(参考:エペソ人への手紙4章11-12節)。, 教会全体の成長のためには神の民とされた人たち一人一人が成長していく必要があります(比較:コロサイ人への手紙1章28節)。, そして、教会全体そして各クリスチャンの成長のために注意すべきこととして、以下のようなことが考えられます。15, なお、教会全体そして各人の成長を考えるときに決して忘れてはいけないことがあります。それは、, 自分の力や努力だけで何かを成し遂げた(成長した)と考えるとき、そこには自負やプライド、おごり高ぶりといったものが生じます。, そして、そのような態度は多くの場合、教会内に亀裂や分裂を引き起こす(教会全体としての成長を妨げる)きっかけとなります。, 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。【エペソ人への手紙4章2-3節】, 出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉388頁, 教会の果たすべき役割・存在意義・目的について、最後に考えるのは宣教・伝道についてです。, ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。【マタイの福音書28章19節】, 出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉64頁, ここで「神・イエス・聖書のことを伝える」と聞くと、神・イエス・聖書のことをしっかり学んでその内容を説明するというイメージをもたれる方がいらっしゃるかもしれません。, もちろん、神・イエス・聖書のことを学んで説明することも大事ですが、そのような知識だけでなく、実際の生活態度においても「神・イエス・聖書のことを伝える」ことはできます。, わたしはあなたがたに新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。【ヨハネの福音書13章34-35節】, 出典:新日本聖書刊行会『聖書 新改訳2017』(いのちのことば社、2017年)〈新〉213頁, 貧しい人であれ、富んだ人であれ、罪深いとされた人であれ、自分は正しいと自認していた人であれ、イエスは全ての人を分け隔てなく愛し抜かれ、彼らの友となりました。, ただし、前項の「成長」のときもそうでしたが、「宣教・伝道」に関しても同じく、私たち個々人の力や努力だけでやろうとすると無理が出てきます。, 先に挙げた「マタイの福音書28章19節」において、イエスは弟子たちに「あらゆる国の人々を弟子としなさい」と命じました。, しかし、それは「お前たちの力や努力だけでなんとかしなさない」という丸投げの命令ではありません。, 以上、教会の果たすべき役割・存在意義・目的として、礼拝、成長、宣教・伝道という三つを考えてきました。, お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この三つはそれぞれに力点が異なっています。というのも、, そして、教会にとって大事なことは、これら三つのバランスを上手に取ることだと思います。17, とはいえ、これら三つが自然に成されていく「流れ」のようなものはあると思います(まず神を礼拝し、互いに成長して、周りの人に伝えていく)。, 必要があると思います。それこそがイエス・キリストの生き様でしたし、「キリストのからだ」としての教会の在り方だと思うからです。, 今回のテーマは「教会の性質と役割」について。具体的には、キリスト教(聖書)が語る「教会」とはどういうものか、またその働き・役割・目的は何かをみてきました。, 聖書において「教会」という言葉が出てくるとき、それは建物のことではなく第一義的に「(キリスト教の)神の民とされた人々の集まり」を指しています。, ことになります。特に、教会が「(キリスト教の)神の民とされた人々の集まり」ということは以下を意味します。, こともみました。そのことを聖書では、教会は「キリストのからだ」という表現を用いて表します。具体的には教会は以下のような性質を持っていると言えます。, とも言える存在で「聖霊の宮(みや)」とも呼ばれます。聖霊の宮である教会は以下のような特質・特徴をもったものでもあります。, この「神がしてくださったことに対する応答」というものがいわゆる「礼拝」と呼ばれるものです。具体的には、集まった皆で神をたたえる歌(讃美歌)を歌う、祈りを捧げる、献金をするといったことになります。, 教会全体そして各クリスチャンの成長のために注意すべきこととして、以下のようなことが挙げられます。, なお、「成長」も「宣教・伝道」も私たちが自分たちの才能・力や努力だけで成し遂げられる類のものではありません。むしろ, MACFの関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、11/1(金)は原田が担当します。テーマは「礼拝の意味と目的」、お茶の水クリスチャン・センター404号室にて10:20から、参加費は無料となっています。どなたでもお気軽にご参加ください。, MACFの関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、7/5(金)は原田が担当。テーマは「罪の本質、原因、結果」。10:20と19:20からの二回、お茶の水クリスチャン・センター404号室、参加費無料。, キリスト教(聖書)の神を完全に理解することは誰にもできません。が、私たちの造り主である神について学ぶことは、私たち自身を知るためにも非常に大事なことです。この記事では、神の性質・属性についてもっと詳しく学びたい方にお薦めの書籍を紹介します。, 「キリスト教の神も『八百万の神』の中の一人でしょ! 最近ではキリスト教徒でなくても教会・チャペルで結婚式を挙げる人が増えてますので、「教会」に足を踏み入れたことがある方も少なくないと思います。, 「教会」という言葉を耳にすると、ほぼ全ての人が(立派で古めかしい? キリスト教の教会のウェブサイトを見ると必ずと言ってよいほど目にする言葉がこの 「礼拝」 という言葉でしょう。 しかしながら、キリスト教(宗教)を知らない人にとっては、「礼拝」ほど意味が良く分からない言葉もないと思います。 」, ・・・を出して無教会主義のキリスト教を世界に唱えしめしデンマークは、実に柔和・・・ 内村鑑三「デンマルク国の話 プロテスタント バプテスト メソジスト ホーリネス 聖公会 (10/17更新). ?」と思われている方に「キリスト教(聖書)の神はどんな神?」と題して贈る三回シリーズの第一弾。一回目は天地万物を創造した「造り主なる神」の性質に焦点をあてます。, MACF(Mission Aid Christian Fellowship)の関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、2020年も引き続き、毎月第一金曜日(10:20~)の分を原田が担当させて頂きます。OCC404号室、参加費無料。今年のテーマは「神が共におられた人々」です。2020年8月から原田担当分はお休みします。, MACFの関根一夫牧師が主催する「バイブルワークショップ」、9/6(金)は原田が担当。テーマは「終末(イエス・キリストの再臨)」。10:20と19:20からの二回、お茶の水クリスチャン・センター404号室、参加費無料。, 実は、聖書(キリスト教)の語る「救い」には「罪の赦し」と「永遠の命」以外にも重要な側面があります。今回は「イエス・キリストを信じると何が起こる・変わるのか?」を考えつつ、聖書(キリスト教)の教える「救い」の意味について紹介します。, キリスト教(プロテスタント)において、「聖礼典」または「礼典」と呼ばれる儀式には「洗礼(せんれい)式」と「聖餐(せいさん)式 」の二つがあります。今回はあまり馴染みがないと思われる聖餐式について、聖餐式に秘められた象徴的な意味合いとその目的を紹介します。, ある日突然「全ての人は罪人(つみびと)だから、悔い改めなければ救われない」と言わても、納得できない人がほとんどだと思います。今回はキリスト教における罪の定義と本質に焦点をあてながら、「罪とは何か?」「人はみな罪人なのか?」を考えます。, キリスト教の教会のホームページや立て看板などを見ると、まず間違いなく目に飛び込んでくるのが「礼拝」という言葉。しかし、その言葉の意味を正しく理解している人は意外に少ないのではないかと思います。今回は知っているようで知らない「礼拝の意味・目的・方法」を紹介します。, 原田元道(はらだもとみち)。高知県出身。アメリカ留学中(物理学博士号、Ph. キリスト教(キリストきょう)とは。意味や解説、類語。仏教・イスラム教と並ぶ世界三大宗教の一。イエスをキリストすなわち救世主と信じる宗教。神の国の福音を説き、人類の罪を救済するために自ら十字架につき、復活したイエス=キリストを信仰の中心とする。 ディサイプルス 聖霊派 ペンテコステ派 」, 検索ランキング 」, 内村鑑三「デンマルク国の話 自由主義 新正統主義 社会派 仏教・イスラム教と並ぶ世界三大宗教の一。イエスをキリストすなわち救世主と信じる宗教。神の国の福音を説き、人類の罪を救済するために自ら十字架につき、復活したイエス=キリストを信仰の中心とする。ユダヤ教を母体として1世紀中ごろパレスチナに起こり、4世紀末ローマ帝国の国教となる。欧米を中心として世界各国に広まっている。ローマ‐カトリック教会・東方正教会・プロテスタント諸教会の三つの流れがある。耶蘇 (やそ) 教。, ・・・袖として名声藉甚し、キリスト教界の名士としてもまた儕輩に推されていたゆ・・・ 内田魯庵「三十年前の島田沼南 13という数字に不吉なイメージが与えられたのは何故、いつの時代、誰によって、何をきっかけとしてだったのでしょうか。また、キリスト教以外でも13という数字が持つ意味をご存知の方教えていただけないでしょうか。地球が太陽を一周 」, 関西学院大学の中道教授にキリスト教の終活について取材させていただきました。 福音主義 根本主義 福音派, カトリック教会(カトリックきょうかい、ラテン語: Ecclesia Catholica)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教の教派。その中心をローマの司教座に置くことからローマ教会、ローマ・カトリック教会とも呼ばれる[1]。, カトリック教会自身による「カトリック」の定義は、教会憲章 (Lumen Gentium[2]) にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現に最もよく表されている。1054年の大シスマによる東西教会の分裂以前の教会で、ニカイア信条・ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会(アリウス派や単性論の対義語という意味。正統教義ともいう)を指してカトリックと呼ぶこともある。[3], また、狭義の「カトリック教会」には、ローマ教皇を中心としながらも伝統的な独自の東方典礼を維持する東方典礼カトリック教会の諸教会があるほか、「カトリック」を自称・自認する教派は他にも復古カトリック教会、ポーランド・カトリック教会、リベラル・カトリック教会、中国天主教愛国会など独立カトリック教会の諸教会があり、これらと区別する意味でローマ・カトリック教会とも呼ばれる。, イエスの復活信仰の確立・ナザレのイエスの死を通しての贖罪信仰の確立・主イエス・キリスト信仰の確立・終末信仰の確立については、キリスト教#歴史を参照, 聖書は神の言葉という信仰の確立については、旧約聖書#神の言葉として成立した聖書の歴史を参照, カトリック教会においては、自宗を「キリストの教会」だとする世界観がある。[4]この世界観は、神と神の右に座するイエス、神の母マリアや聖人たちのとりなし[5]、天国の鍵を管理するペテロ、信者たちの集う天国等で構成されている[6]。こうした世界観にもとづく組織構造がペテロの権威を引き継ぐローマ教皇という現実の人間を中心に展開されている。, ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(日本語では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言い方は日本国にとってのバチカン市国の首長を表す外交用語でしかない)。ローマ教皇は使徒ペトロによる使徒座の後継者であり、現在はバチカンに居住する, 枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿である。, 司教は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者であるとされる。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、東方教会(東方典礼カトリック教会)の一部では「総大司教」がいて、教会の首長となっている。, 司教の本来の職務は、教区の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、司祭・助祭の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている[7]。通常の司教(教区司教)のほかに、(大司教など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「補佐司教」が任命されることがある[8]。, 司祭と助祭は司教の職務を補助している。司祭には、教区に属する教区司祭(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、修道会に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。, また、教皇パウロ6世の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という下級聖職(下級品級)および副助祭という聖職位階が存在したが、1972年8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって1973年に廃止され、現代では聖体奉仕者と祭壇奉仕者の2つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった[9]。, カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は、独身の男性に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。, 全世界に存在する(洗礼を受けた)カトリック信徒の総数は12億人に上るとみられている。カトリック信徒は世界中に存在しているが、特に多いのはヨーロッパとアメリカ大陸である。2000年度の統計では、南北アメリカに5億2000万人、ヨーロッパに2億8000万人、アフリカに1億3000万人、アジアに1億700万人、オセアニアに800万人である[10]。, ヨーロッパでカトリック信徒の多い国は、ラテン諸国といわれる国でフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、アンドラ、モナコ、サンマリノ、非ラテン諸国ではオーストリア、ベルギー、クロアチア、チェコ、ハンガリー、アイルランド、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロバキア、スロベニア、ルクセンブルク、リヒテンシュタインである。ドイツ、オランダ、スイスおよび北アイルランドはカトリックとプロテスタントがほぼ同数である。, アメリカ大陸では特に南アメリカに信徒が多く、特に多いのはメキシコ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビア、パラグアイである。, アジアではスペイン、ポルトガルの植民地であった歴史的背景からフィリピン、東ティモールにカトリック信徒が多い。, ナザレのイエスの母だったマリアは、その人生の終わりに、肉体のままで天国にあげられたという信仰。, ナザレのイエスの母だったマリアは子供を宿した時に原罪が潔められた、という意味ではなく、「マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた」という信仰。[12][13], ローマ教皇が「信仰および道徳に関する事柄について教皇座(エクス・カテドラ)から厳かに宣言する場合、その決定は聖霊の導きに基づくものとなるため、正しく決して誤りえない」という教義のこと。<教皇ピウス12世の「聖母の被昇天」に関する宣言には、「もしこれらのことを疑い、否定する発言を行うものはカトリック教会の信仰から離れているとみなされる」とした。, 指導者が聖霊に満たされて語る言葉は、神の言葉とされているので、聖霊に満たされて書かれた聖書は、神の言葉である。[14], ローマ教皇は、全世界のキリスト教の司教たちの中で、最も権威を持っていて、天国の鍵[15]を受け継いでいるとされる。教会の外にいるものは聖霊の恵みを受けられず、もしそこから離れてしまえば聖霊の恵みを得ることができないとされている。[16], カトリック教会の教説(教え)は「聖書と聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書、新約聖書およびイエス・キリストと使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。使徒信条およびニケア・コンスタンティノープル信条を信条としている[17]。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では第2バチカン公会議でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。[18], カトリック教会においては、ヒエロニムス以来何度となく改訂されてきたヴルガータとよばれる後期ラテン語訳聖書が公式な聖書とされてきた。現在は各国語に翻訳されている。カトリック教会で聖書正典に含まれる諸文書を最終的に決定した公会議はトリエント公会議である。カトリック教会が正典とする旧約聖書には、七十人訳聖書には含まれていたがヘブライ語のマソラ本文に含まれていない文書がある。それらは第二正典という語で指される場合もあるが、正典に含めている。, 日本語訳聖書においても、かつてカトリック教会とプロテスタント諸派では異なる翻訳による聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『共同訳聖書』であり、表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会で公式に用いられている『新共同訳聖書』である。なお、『新共同訳聖書』では、上記旧約聖書の第二正典の部分を、これを正典に含めないプロテスタントなど他教派へ配慮して「旧約聖書続編」という名称で掲載している。, カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは、聖体祭儀のミサである。ミサの中で信者は聖体の秘跡を受ける(聖体拝領)。主日[19]と守るべき祝日にミサにあずかることは、信徒としての務めであるとされている。, ミサ以外の重要な典礼行為として、「聖務日課」があげられ、修道院などで必ず行われている。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパ(ヴェスペレ)と呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中で行われる(かつて九時課、六時課、三時課と呼ばれた)。それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。, 現代のカトリック教会のミサの中では、主日(日曜日[19])と教会祝日には、福音書朗読と福音以外の聖書朗読が二つの合わせて三つが朗読される。それ以外の平日のミサでは、福音書朗読と福音以外の聖書箇所の二つが朗読される。, カトリック教会は伝統的に7つの秘跡(サクラメント)を認めている。秘跡とは、神の恵みを実際にもたらす感覚的しるしで、イエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられたものである[20]。, 神は全てのキリスト者に対して聖性に向かうようにとお呼びかけになった。聖性とは何にもまして神を愛し、神ゆえに人々を愛し、人々に仕えることである。聖パウロは、エフェソの初代のキリスト者(鍛冶屋や店主、家事従業員や料理人、労働者からなる人々など)に、神は「天地創造の前から、私たちを愛され、ご自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと」(エフェソ1,4)、キリストにおいて私たちをお選びになったと保証している。第二バチカン公会議で、「どのような身分と地位にあっても、全てのキリスト者がキリスト教的生活の完成と完全な愛に至るように召されている」(バチカン公会議、『教会憲章』40)と述べられた。, この聖性への普遍的な召し出しの一部として、キリスト者は誰でも、人々に仕え、人々をキリストに近づけるために呼ばれている。 いわゆる「霊的」な仕事に従事している人たちばかりでなく、あらゆる真っ当な世の中の仕事と活動に従事している人たちが、キリストの教えを自らの模範と言葉で広げていくように呼ばれているのです。神はすべてのキリスト者が「教会の使命の証人、生きる道具となるよう」(『教会憲章』33)招いておられるのである。, 「全ての信者は神の救いの計画がどんな時代にも、あらゆる国々のあらゆる人々にまで届くよう働くべき」(『教会憲章』33)であることを、全てのカトリック信者は知るべきである。「自分の毎日の活動を、神との一致の機会、御旨の到達の機会、人々への奉仕の機会、キリストにおける神との交わりに人々を導く機会と見なすよう」(『信徒の召命と使命』17)、神は信徒である男女をお呼びになっている。現代の聖人たちは信徒の信仰生活や使命に関しては次のように語っている:「あなたがキリストを尋ね、キリストに出会い、キリストを愛するように」(聖ホセマリア・エスクリバー『道』382)[22]。同様、 教皇ヨハネ・パウロ二世によると、「信徒は聖性への召し出しに気づき、何よりも拒むことのできない義務としてそれを生きなければ」ならない(『信徒の召命と使命』17)。, 地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議(シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の3分の2以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。, 現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとされている。この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている[23]。, カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。21の公会議とは年代順に、第1ニカイア公会議、第1コンスタンティノポリス公会議、エフェソ公会議、カルケドン公会議、第2コンスタンティノポリス公会議、第3コンスタンティノポリス公会議、第2ニカイア公会議、第4コンスタンティノポリス公会議、第1ラテラン公会議、第2ラテラン公会議、第3ラテラン公会議、第4ラテラン公会議、第1リヨン公会議、第2リヨン公会議、ヴィエンヌ公会議、コンスタンツ公会議、フィレンツェ公会議、第5ラテラン公会議、トリエント公会議、第1バチカン公会議、そして第2バチカン公会議である。, 公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方正教会(ギリシャ正教)では最初の7つの公会議のみを認めており、東方諸教会のうち非カルケドン派では最初の3つのみを認めている。さらにネストリウス派の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。, 特に第2バチカン公会議は、現代のカトリック教会の方向性を大きく変えた重要な公会議だったといえる。この公会議を機にカトリック教会は典礼の改革を行い、エキュメニズムの推進を目標に掲げた。カトリック教会は、この第2バチカン公会議において「本人の側に落ち度がないままに、キリストの福音と教会を知らずにいて、なおかつ、誠実な心を持って神を求め、良心の命令を通して認め られる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動をもって実践しようと努めている人は、永遠の救いに達することができる」という従来とは異なる見解を示した [24]。, カトリック教会では、1054年の正教会との分裂や、それよりもはるかに古いエフェソ公会議やカルケドン公会議における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であると捉えている。それをよく示すのは、1994年11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言(英語版)[25]』である。これはカトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ2世とアッシリア東方教会の総主教マル・ディンハ4世(英語版)の間で調印された。アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は、431年のエフェソ公会議で争われた「テオトコス論争」という聖母マリアの称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。『共同宣言』では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。, さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立はフィリオクェ問題という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。カトリック教会で用いられる「教導権」という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は神学者のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解すると必ず矛盾や対立が生じることになると考える。ユダヤ人の教育において、指導者がトーラーを声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。, カトリック教会とプロテスタントの諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。プロテスタントは、カトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、2007年の「教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答」において「16世紀の宗教改革から生まれたキリスト教共同体(プロテスタント)は、使徒継承による司祭職の秘跡を欠くため、カトリックの教えによれば、固有の意味で『教会』と呼ぶことはできない」としている[26]。, 他方、エキュメニズム(教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえば日本聖書協会によって1987年に刊行された『新共同訳聖書』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書に日本正教会は参加していない)。また日本におけるカトリック教会では、2000年2月15日から日本聖公会と同じ「主の祈り」の日本語翻訳が使用されている[27]。, 「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー (καθολική)(普遍的、世界的)」の形容詞「カトリコス(καθολικος)」に由来し、ラテン語では「カトリクス (Catholicus)」と表記される[28]。ただし「カトリック」(普遍的)を自認・自称するキリスト教の教派は他にもあり(後述)、「カトリック」の語彙は教派名にとどまらない概念を指すこともある。, 教会の教えによれば、教会とは単なる人間的な組織ではなく、20世紀前にパレスティナで誕生した伝統を継続する人々の集まりでもなく、教会は、人間から成り立っているが、神から来るものである[29]。, 東方教会(正教会および東方諸教会)と区別するため、カトリック教会とプロテスタント教会を総称して西方教会と呼ぶ場合もある。その中で、最近はあまり見かけないが、日本語表記においてプロテスタント教会を「新教」とも呼ぶことがあるのに対してカトリック教会を「旧教」と呼ぶ例もあった。日本で出版された歴史の本などにも「旧教」という言葉が使われていたことがあるが、カトリック教会の側が「旧教」を自称したことはない。, 別の名称としては、日本ではかつて天主公教会(てんしゅこうきょうかい)と称していた。これはかつて神のことを「天主」と呼んで教えていたためで、大浦天主堂・浦上天主堂などの名称はこれに由来するものである。また「公教」の使用例としては「公教要理」「長崎公教神学校(現・長崎カトリック神学院)」などがあったが、現在ではほとんどない。, なお、日本語でカソリックと表記されることもあるが、カトリックを現す、ギリシャ語のκαθολικοςのθとラテン語のCatholicusのthの部分の発音の表記の違い[30]でしかない。, 現在ではカトリック中央協議会が公式表記としていないので、日本のカトリック教会側が「カソリック」という表記・呼称を使用することは通常はない。, 1054年の大シスマによる東西教会の分裂以前の教会で、ニカイア信条・ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会(アリウス派や単性論の対義語という意味。正統教義ともいう)を指して「カトリック」と呼ぶこともある。この場合は現在のカトリック教会と正教会を含む。ただしこれはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して「正教会」と呼ぶ。, カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。, 現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しておりこの2つは排他的概念ではないことには注意が必要である。, 2010年3月、ニューヨーク・タイムズが、ベネディクト16世自身が枢機卿在任時代に司祭の虐待事件をもみ消していたという疑惑を報じたことにつき教皇側が強く反発したことから、同年3月28日にはロンドンで教皇の退位を要求する抗議デモが行われた。, また、近年一部の聖職者が児童に対して性的虐待をしていた事実が判明し、カトリック教会の一大スキャンダルに発展している。, 宗教改革以来、プロテスタントから、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承(聖伝)に基づくもの」と批判されている。同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「秘跡」や「マリア崇敬・聖人崇敬[31]」について批判を受ける。歴史的には、カトリック教会が封建領主として君臨したこと、マルティン・ルターによって、聖遺物崇敬・贖宥状(免罪符)発行を批判されたが、対抗改革によって中止された。一方、改革の中で原理主義的姿勢が強まって「禁書目録」の作成がなされたが、このような動きは学問の自由や言論の自由を求める学者と衝突を招いた。, 啓蒙主義者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。フランス革命ではマクシミリアン・ロベスピエールが宗教を廃止し、「理性」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。しかし、21世紀においても(プロテスタントの保守的な教会同様に)胎児も含めた、かけがえのない生命を尊重するという崇高な理念に基づき人工授精や妊娠中絶、避妊、同性愛(ただし、同性愛的行為は禁じられるが、同性愛的性志向自体は否定されない)、ES細胞研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派やプロライフの関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携することもある。一例としてマンハッタン宣言を参照)。「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の"教条主義"とも揶揄されている[誰?

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